ステートメント

ステートメント

マゾを精神的に堕とすことが大好きです。
モデル並みに顔が整っている子以外には興味ないので、当てはまっていたら続きを読んでください。
非常に長い文章で時間の無駄になりますので、該当かつ東京近郊にお住まいの方以外は読み進めないことをおすすめします。

精神的に堕とすといっても、なにをもって堕ちたとみなすのかは意見が別れるところですね。
私は、堕ちるということを次のような状態だと定義しています。
当人の(性的)価値を搾取されているにも関わらず、それを快いと感じ、積極的に維持発展させようとする状態。
つまり、傍から見れば惨めなことをされているのに、いやむしろされているからこそ、そこに快楽を見出すようにできれば、精神的に堕とすことができたと言えるということです。
そのような状態を目指して「調教」を行います。

もともとマゾ気質を持っているあなたのような人間を堕とすのはさほど難しいことではありません。
私が「調教」で最も重視するのは言葉です。それも、あなたがあなた自身の言葉で縛られるように誘導することを重視します。
たとえば、あなたにこう懇願させるわけです。
「あなたと呼ばれるよりもおまえと呼ばれる方がお腹に響くので、私のことはどうか見下しておまえとお呼びください」
(心の中で実際にこの文を読んでみなさい。そのとき、どんな風に心が揺れるのかに注意して)
私は力を持ったこのような言葉を、様々な側面を考慮して「ステートメント」と呼んでいます。
しかし難しい単語を使わなくとも、このようなおまえ自身を縛る言葉があると理解してくれれば結構です。
もうひとつステートメントを試してみましょうか。
「どうか敬語もお遣いにならず、奴隷に接するのと同じ言葉で接してください」
おまえが望むなら、そうしよう。
こうして、言葉がおまえを縛っていくわけだ。

さて、おまえのような生来の奴隷を堕とすためにステートメントを使う。
堕とすというのは、価値を搾取されても気持ちいいと思わせることだから、私がおまえに言わせたい最終的なステートメントは次のようなものになる。
「私はあなた様に都合良く使われることが気持ちよくて大好きなので、どうか思うままに私をお使いください」
だが、このステートメントを言わせるのに、はたして「調教」が必要だろうか。
無論、どんなに被虐傾向が強い人間でも、自身の主になる相手には一定の資質を求めるだろう。その基準は嗜虐性の強さや方向、あるいは優しさや社会的地位、時には狂気の度合だったりもするだろうが、とにかく基準はある。誰でも良いわけでは決してない。
しかし。
おまえのようなマゾがひとたび主を選んだら、上記のステートメントを言うことが、そんなに難しいことだろうか。最初に主の足元に跪いたとき、おまえはこのステートメントと少なくとも似たような心境に置かれるのではないか。
それが、おまえのようなマゾを堕とすのはさほど難しくないと書いた理由だ。当然のことを言っているに過ぎない。おまえはもともとそのような気質を持っているからこそ、この文章を読んでいるのだから。
では、「調教」は無意味なのか。
無論そんなことはない。このステートメントには、深さがある。
「いくら都合良く使われることが好きだからって、精液を飲むことはできません」
「いくら好きだからって、お尻の穴は舐められません」
「他の人とすることはできません」
「刺青はいれられません」
端的に言えば、「死ぬことはできません」
つまり、このステートメントを言わせたとしても、どこかに現時点での限界がある。
(念のため言っておくと、最終的に私が刺青を入れさせたり、あるいは死を命じたりする目的があると読み取る必要はない。単純にエスカレーションを例示しただけだ)
私の目的はこのステートメントを深く、深くしていくことなのだ。
飲精を、不浄への奉仕を、他者との行為を、消えない痕を、あるいは死を、おまえはいずれ受け入れられるようになる。もし、私がそれを望み、またおまえを導くのに相応の力が私にあれば。
私はおまえをそのように変えていくことに、深い悦びを覚える。

おまえは次にこう思うだろう。繰り返される「調教」とはそれでは、どんなものなのだろうか。
ステートメントを課すことが「調教」のもっとも重要な手法であると言いながら、それはまた「調教」の目的でもあるという。
具体的に「調教」では何が行われるのか。

そう、「調教」の基本はステートメントの積み重ねだ。
さらに詳しく言えば、ステートメントと条件付けの累積である。
人間のすべての行動は快感に基づいている。食べることも、他者を慈しむことも、痛ましい労働や英雄的な死でさえ、すべてはそうしたほうが快いから為される。
したがっておまえのステートメントを深めていくには、快感を用意してやる必要がある。
性的快感は与えやすく、また嗜虐性も多くは性に根差しているため、この目的によく適合している。
なんのことはない、身体が気持ちいいというご褒美を用意して、もっと難しいことができるように誘導するというだけの話だ。

たとえば私は寸止めという手法を大変好む。
持続的に高い快楽を与えることができるし、手法そのものがステートメント的だからだ。
私が飼っている奴隷を例にとって、ある日の「調教」の雰囲気をおまえに伝えよう。

私は「調教」の最初に必ず足を舐めさせることにしている。
跪いて足を舐めるという行為は、相手への全面的な服従を示すと私は思う。
これから始まる「調教」への感謝と、私への服従を示すために、奴隷は一本一本丁寧に足指を舐め上げる。
その奉仕を受けながら、私は奴隷に「舐めながら5回」というように命じる。
奴隷は、すでに勝手な興奮を示している股間に手を伸ばし、そこをまさぐりはじめる。
5回というのは5回絶頂しろという意味ではなく、その寸前まで自らの手で追い詰め、ただし決して絶頂は迎えるなという命令である。

実はこの奴隷は日常的な自慰を義務付けられているが、決して許可なく絶頂してはいけないと命じられている。
後の興をそぐので詳細は割愛するが、特殊な方法で日に20回程度の寸止めを課されている。
したがって「調教」の当日は、満たされない欲求が身体にあふれている。

奴隷は媚びたメスマゾの表情で足を舐めながら、すぐに直前まで自分を追い詰める。
そしてそのことを、通常女性は引いてしまうような直截な言い方で自己申告する。
奉仕中になにかを報告するとき、対象を口に含んだままするように、というのも私が好みで細かく調整した成果だ。
奴隷は使用者の都合に合わせて「調教」されているべきだと私は思う。
おまえも寸止めをしたことがあれば分かると思うが、2回目からは昇り詰める間隔が短くなっていく。
5回の寸止めの報告が終わるのはあっという間で、私は日によって気まぐれにもう5回と命じたりもするが、いずれにせよ奴隷はすぐに息を荒くして興奮状態に陥る。

肉体的な快楽の良いところは、訓練次第でさらに強くしていけるところだ。
足への奉仕と痴態を一通り楽しんだあと、その日私は奴隷の手を背中側で拘束し、目隠しをした。
そのまま後ろに手をついて、膝を曲げた状態の脚は大きく開き、仕上げに胸を張ったポーズをとらせる。
乳首責めのポーズだ。
私が促すと、奴隷はいつものようにステートメントを発する。
「ご主人様が気持ちよくしてくださる間、決してこのポーズを崩しません」
私が奴隷の乳首を弄ぶと、その奴隷が言うにはお腹のあたりに電流のような痺れる快楽が走るらしい。
執拗に乳首を責め続けると、寸止めで強制的に追い詰められた身体はびくびくと痙攣し始める。
このよく訓練された奴隷は乳首で絶頂を感じることができる。私は奴隷がポーズを崩さないというステートメントを守ることの褒美として、その快楽を与えようと考える。
その瞬間がやってくると奴隷の身体がひときわ大きく痙攣し、ポーズを崩さないように必死に歯を食いしばりながら快楽の波に耐えている様を見ることができる。
絶頂の報告と感謝の言葉を聞いて、私は奴隷の拘束を解く。
どういうわけか、乳首での絶頂は寸止めで溜まったもどかしさを解消する役にはたたず、むしろ助長するらしい。
奴隷は向きなおると私の足元で深々と土下座をし、これも普通の女性は忌避するような、あるいは男性に聞かせれば嘲笑と侮蔑を誘うような言葉で性交を懇願する。

その日私は奴隷の懇願にすぐには応えず、尻をこちらに向けて四つん這いになるように命じた。
再び回数の指示を与えると、奴隷は絶望的な声をあげ、再び自ら快楽の淵に進むことを強要される。
寸止めと乳首絶頂で追い詰められた身体には、痛みすらも快感になる。
私はその痴態を見るために、乗馬鞭を手に取る。
ただ懲罰的に打つよりも、痛みを与えられることの喜びを快楽と合わせることで教えるほうが私の好みだ。
実際この奴隷の尻が全体的に赤くなるころには、触れてもいない部分から白く濁った欲望が次々と溢れてくる。

結局この日は私は奴隷を犯し絶頂を許したが、日によってはこの状態のまま帰すこともある。
今日は絶頂を許されないと知ったときの奴隷の表情は、いつもとても深い満足感を与えてくれる。
そんな気が狂いそうな状態で帰したら、勝手に自慰で解消してしまうのではないか。
いや、そんなことはない。
なぜなら、そこにステートメントがあるからだ。
ステートメントを守ること、私に従うことで、奴隷個人では感じることのできない、想像を絶する快楽が与えられると知っているからだ。

さて、この文章を読んだおまえの感想は、私には手に取るように分かる。
「羨ましい」
ここまで文章を読み進めたこと自体にバイアスがかかっているからだ。つまり、おまえは私の「調教」に非常に親和性が高い。
おまえが望むなら、使ってもらう悦びを魂のレベルで刻んでやることもできる。
ただしそのためには、いくつか手続きを踏む必要がある。

まず冒頭にも書いた通り、私は顔の整った奴隷にしか興味がない。
傲慢な言い方になるのは恐縮だが、私の「調教」が欲しいと言ってくれる相手はそれなりにいるので、ある程度選びたいと考えている。
無論、容姿はパートナー選びのほんの一要素でしかないが、単純な足切りにはちょうどいいということだ。
とはいえ、おまえはさすがにモデル並みとはいかないと自認しているかもしれない。
おまえが平均的な体型よりも太っているなら諦めること。
容姿の上位20%くらいだという自覚がない場合も諦めること。
モデル並みではないが、太ってはいないし2割には入ると思うのであれば、よく考えて後述の自己紹介を送ってみるとよい。
東京近郊在住であるなら、年齢などの縛りはとりあえず設けない。

次に、文中から読み取れた通り、私はすでに数人の奴隷を飼っている。
現在飼っているのは2人で、今回募集しているのは3人目だ。また既婚者でもある。妻は奴隷ではなく、すべて婚外で飼っている。
この募集で相手が見つかったら、誰かが離れていかない限り当分次の募集をするつもりはない。

上記の文章に惹かれたのだとすれば、私個人のことは蛇足的な情報に過ぎないと思うが、一応伝えておこう。
私は都内在住の29歳で、知的労働に従事する会社員だ。
私自身の容姿はごく普通といったところで、容姿だけで好意を寄せられることもなければ、今まで会った奴隷候補に断られたこともない、といったところだ。
一般的な、常識的な教育を受けて育ったと思っていて、品がある、落ち着いている、紳士的だという評価はよく受ける。
趣味は書いてきた通り、マゾを精神的に堕とすこと。

私の「調教」を受けたいと思ったおまえがまずすべきことは、私に対して自己紹介のメールを送ることだ。
年齢。身長。体重。職業。おおまかな住所。容姿のレベルの自負。
そして、メールを送ろうと思った理由と、おまえがSMを求める理由。
このくらいの内容を。
丁寧に書いたな、と思えると次につながりやすい。
この掲示板の返信欄は見ていないので、メールを送ること。
また、受信設定や迷惑メール設定に注意すること。

最後に。
私はマゾを堕とすことが好きだが、堕とすというのは無責任に破滅させるということではない。
むしろ細心の注意を払って、彼女の中にある美しいものを引き出すことだ。
言うまでもなく衛生面や安全面には注意を払うし、相手が本心で嫌がることと、今はまだできないことの区別をつけられることが、良い主の条件だと考えている。
そのような恐怖や懸念のために、惹かれた相手に身を預けられないのは残念なことだ。
私は私のステートメントとして、我が奴隷に下る者の幸福を保証する。
なので、どうかその点は安心してほしい。
以上、長文よく読んだ。おまえのメールに期待している。


友だち追加follow & DM


この方へメールで直接連絡をしてみたい方は、下記フォームよりお願いします。

書き込んだ内容はリアルタイムで投稿した男性に届きます。まずはニックネームや捨てアドで、気軽にお話してみてください。 サイトは主従交際には関知しませんので、費用などは一切掛かりませんが、自己責任で慎重ににお付き合いください。


関連記事


SMクラブのお仕事


おすすめ記事

S男性からのM女募集情報

  1. 多頭飼いによる集団調教ハウス

    多頭飼いによる集団調教ハウス

    福岡の郊外で3LDKの家をM女性に開放しています。住む所や食事の心配はありませんので、生活を立て…
  2. 処女のまま淫乱奴隷に。

    処女のまま淫乱奴隷に。

    重度の変態のみ募集します。条件は処女であること、マゾ女であること。目隠し、拘束、イラマに…
  3. 厳しくて優しい調教、美しい主従関係

    厳しくて優しい調教、美しい主従関係

    はじめまして厳しくて優しい調教を通して、美しい主従関係を築きたいな、と思って募集します。…
友だち追加follow & DM